シネマコリアの代表が、韓国映画と格闘する日々をつづります


by seochon
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韓国映画:日本公開本数の推移

 1/2に書いた記事「2010年に日本公開された韓国映画」を読まれた方からリクエストをいただきましたので、今回は韓国映画の日本公開本数の推移をご紹介します。

 下のグラフは、1981年から2009年まで日本で劇場公開された韓国映画と合作映画、そしてその合計数を折れ線グラフで表したものです。データの出所は、外国映画輸入配給協会(略称、外配協)が公表している「外画概況 国別一覧表」の各年版。データそのものはホームページで誰でも入手できます。日本で公開された外国映画の本数を語るときは、たいていこの外配協の数字が参照されます。2010年の数字はまだ発表されてないので、私が独自に計算した数字=46作品を点線付きで入れてあります。外配協のカウント方法と私のカウント方法は微妙に異なりますので、多少のずれはあると思いますが、大外れはしてないはずです。

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 せっかくですので、これまでの経緯を簡単にご紹介しておきましょう。

 外配協の数字によれば、1981年から1987年まで劇場公開はゼロ(映画祭や自主上映会の形では紹介されていました)。1988年のソウル・オリンピックを契機に韓国文化紹介のムーブメントが起こり(ジェロジェロ・ワンダフルの時代ですね、懐かしい)、その流れもあって韓国映画も日本で劇場公開されるようになります。しかし、その本数は年間一桁台。私が韓国映画を集中的に見たり紹介し始めた1990年代後半は、劇場公開は年1本あるかないか、しかも地方だとミニシアターのレイトショーで一週間程度の公開が相場でした。

 そんな状況を打破したのが、2000年に公開された『シュリ』です。この作品が大ヒットしたことにより、年間公開本数は初の二桁に乗ります。2001年には『JSA』、2002年には『友へ/チング』と韓国で(当時の)歴代興行記録を更新した話題作が全国公開され、韓国映画の知名度は徐々に上昇していきます。が、今から振り返ってみると、この時期は、来るべきドラマ・ブームの下地作りがなされた時期と考えたほうがよいかも知れません(2002年の「イヴのすべて」地上波放送、日韓合作ドラマ「フレンズ」放送など)。2002年は日韓ワールドカップの年で、映画の世界でも合作が何本か公開されましたが、世間の盛り上がりほどには、映画界では公開本数&観客数ともに伸びませんでしたので。

 そして、2003~2004年に「冬のソナタ」が放送され、空前の韓流ブームが到来。公開本数は2004年に33本(合作含む、以下同様)、韓流シネマフェスティバルが始まった2005年には64本と倍々ゲームで増えていきます。2005年には『四月の雪』『私の頭の中の消しゴム』が相次いで日本における韓国映画の興行記録を更新。しかし、ピークもまたこの年でした。ブームの影響で韓国映画の買い付け価格は高騰。大規模に公開するも、興行成績は期待したレベルには到達せず…を繰り返し、やがて日本の配給会社は韓国映画の購入に慎重になります。加えて、韓国本国でも映画バブルがクラッシュ。それらの影響で2009年の公開本数は26本と激減します。

 そんな流れを受けて迎えた2010年、日本における韓国映画配給に大きな変化が訪れます。1/2の記事でも書いたように、メジャー作品はCJ Entertainment Japan(CJEJ)が、インディーズ系の作品はキノアイジャパンが直接配給を始めたのです。両社の頑張りもあって、2010年の公開本数は46本と2007年並みの数字に戻りました。が、逆にいうと、直接配給がなくなると公開本数はぐっと減ることになります。具体的に計算してみると、CJEJとキノアイジャパンの配給数は合計9本。これと(たぶん)1回限りの日韓共同企画であるテレシネマ7の7本を引くと、2010年に日本の配給会社が配給した本数は30本と、2009年に近い数字になります。先の記事で、CJEJとキノアイジャパンの動向に注目と書いた理由がここにあるのです。
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by seochon | 2011-01-10 03:22